―――あそこのモミジは今がみごろやで。
北の方はもう散ってしもたけどな。―――
運ばれてくる言葉に
私が知りうる限りの艶やかな赤色を想像して
ますます想いはつのるのだった。
そうしてやっと、紅葉狩りを目的に
京都の紅葉地図を広げた。
ふと、隨心院に心惹かれる。
いつの日か、梅の香に包まれた園に
小野小町を偲ぶように寂びた庭は
私の心に強く印象に残る。
次の日、平日の休みを良いことに、
人出も落ち着いた山科の方へと向かった。
駐車場で銀杏のまばゆい絨毯に迎えられ、玄関入口へと向かうにつれ、
盛りを少し過ぎた紅葉が屋根からのぞいていた。
冷える廊下に
その静かな時を刻んだ襖。
描かれた花鳥の色々がぼんやりと浮かんでいた。
なかでも近年描かれた小野小町の盛衰を描いた襖絵は、
まばゆいほどに桃色に彩られた派手なもの。
驚くほどショッキングなこの襖絵の雰囲気がとても気に入っている。
だるま商店さん http://dalma.jp/?page_id=60
盛りを過ぎ色濃く枯れ始めたモミジ
暮れゆく季節を迎えて、
このどこか寂しい庭のように
余生を過ごしたのかもしれない小町…
こうして艶やかな襖絵に美しいストーリーとして甦ったことは
すごく供養になってるのかもしれない。。。
などと、同じ女性としてやはり小町を羨ましく思う。
はなのいろは うつりにけりな いたづらに
わがみよにふる ながめせしまに
それは暮れゆく恋の色
もしくは歳をかさねるごとに
色を濃くしていく
露わになる己の身の行く末
切ない季節を味わうということ。
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