湖北暮らし、はじまる。

3月から、ついに滋賀県の北部へと引っ越した。昨年秋、あれよあれよという間に人生の歯車がぎりりと音を立てて加速。春を待てず、急かされるように、今日まで。滋賀は木之本、北国街道沿いに古民家を見つけて、住み始めました。

昨夜また降りだした雪は、今朝にはどっしりとかさ高く積もり、溶けるそぶりも無く。私の人生に降り積もる、かつてない大雪。いったいどうなるんだろうという不安の上を、しんしんと降り積もって重みを増していきます。憧れの田舎暮らしは、まだ始まったばかりで、まだ楽しむ余裕はなく。日々、生活のひとつひとつのリズムを、この街の時間の流れをつかむのに、少し時間がかかりそうです。京都が恋しい。人が恋しい。春が恋しい。朝目覚めるたびにそんなふうに思いながら、庭に広がる真っ白な雪の絨毯を眺めています。南国が大好きな私が、どうして雪国へ来てしまったのか。その理由は、きっとこの先みつかるでしょう。しばらくは、取材などの仕事で大阪、京都へは通いつつ、ゆくゆくは京都の拠点も探しているところです。私の欲張りな一年は、まだはじまったばかり。

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虫の知らせ。

住宅街の中、我が家の小さな庭に珍しい来客。

もう一週間はお泊りになっている。

幼い頃、川辺でみかけたときから、神様トンボと呼んでいた。

お盆が近づくと、どこからともなくやってきて

気が付くといなくなっている姿から、

ご先祖さまがやってきた知らせだと

親からそう教わった気がする。

時折、漆黒の羽を優雅にひらひらとひらめかせて

日陰でゆっくりと休んでいる姿はとても神秘的で

細い胴体はエメラルドに輝いている。

不思議なことに、2匹のつがいで、仲良くしていたかと思うと、

翌日には3匹、そして4匹に。

今日も、草葉の陰から見守るように。

蝉が絞り出すように鳴き始めた朝

いよいよ夏を迎える。

 

 

梅の香に誘われて

数年前から、梅の咲き揃う時期にいつも私は熱を出す。ちょうど厄落としの時節なのかもしれないなと覚悟している。それもいけない、癖になるからと、どうにか気持ちを張り詰めて2月を越えた年は、丸一年病気をしないことも。けれど、病というのは不思議なもので、体を休めれば自然と頭や心も整理をし始めて、膿み出しをはじめる。だから、年に一度のこの時期の病は、自分から進んで、気をつけてかかる事にしている。
こんな風になったのは、7,8年前の巫女さんをしていた時、私は節分祭の大祭にあたる大切な日を前に、高熱が出てしまった。大祭というのは、特に大切なお祭りで、当時、絶対に休んではいけないということを耳にしていたものだから、祭りの前日、医者嫌いな私も急いで病院へ走った。すでに高熱だったが、点滴をうって貰って、とにかく這ってでも行かねばと心に誓った。しかし、これまで体験したことのないほどの高熱で、立つことも出来ないまま、当日を迎えてしまった。結局、大祭は欠席し、私は気持ちの糸がぷつりと切れた心地がした。それから、私の心に浮かんでいたもやもやも、いっきに晴れていった。その日、巫女さんを引退することに決めた。きっと、神の思し召しだった。私の巫女さんとしてのプライドを、優しく手折られた日。
だから、この時期に熱を出すと思い出す事がある。
いま、立ち止まって考えるべきことはなにか。
静かに、自分の歩いてきた道を振り返りながら。


photo 今宮神社の梅

秋を好むもの。

年を重ねるにつれて、秋が好きになっていく。
すみれという春の名前でありながら、わたし秋生まれです。


ちょっと自慢したいことと言えば、

我が家に虫の音が響くこと。
秋明菊の花びらがひらひらと散って
今朝 キンモクセイの香に気づいた
季節が巡るごとに 毎日発見がある我が家の庭です

秋の湖岸の景色も 夏とは違って静かに
キラキラと水面が揺らぐ
JRにゆられる電車の日帰り旅は
何度だってしたい

せわしない散歩にでかけても
ほっとする景色を目に刻む
稲穂が刈り取られた田んぼの
ちくちくとした感覚を思い出したりしながら。





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あめ、つち、うるおう。

今朝

しとしと降る雨のとても静かな音に

そっと目を覚ました秋明菊


露に顔をふせるように

その儚げな姿


秋入梅

あきついり


秋の梅雨入りが、土を豊かに

草花は露にかがやく


静かな目覚めに

ゆっくりと今日をはじめる



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野原の感触

見積もることは大切か。

予想だにしない未来をいくつも見てきた。

というのはちょっと違って、現実を淡々と見積もって、こなしていくことが、本当に面白くないけど、大人だ。

「感性で生きるひと」と言われる身には、どんどんその波にのまれることに抵抗はしないけれども、つまらない。




私は無になって 風にのり
一面の野原を吹き抜ける
アザミの棘を優しくなでて 


季節がとまる
私の中で。

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タイムカプセル。

大切に瓶詰めされていたのは、植物の種だった。

色も形も様々に、小さな種がみっちりと詰められた小瓶は、実家の食器棚の上の方に大切にしまってあった。引っ越しのたびに自宅の庭から種を収集して、母から父へと受け継がれて、ついに私の自宅へやってきた。
時間を止めた種たちは、眠っているのか、死んでいるのかわからないけれど、きっとどれかは目覚めてくれるだろうと、いくつかの植木鉢にそっとタイムカプセルを仕込んでみた。

一週間たったある日、にょきっとした緑の芽を見つけた。

その種は、父が恩師から譲り受けたという台湾の朝顔。

いつぞや玄関に咲いていた、その艶やかな紫色を見て、父は嬉しそうにしていた。

まるで自身の役目を思い出したかのように、目覚めた種。

芽の先っぽには、まだ黒い種の帽子をかぶっていて、まるでむずがるように伸びをしている。

数日たって、すぐ隣に、またもうひとつの芽が出てきた。

「その種は…心のポケットにひとつ…」というような詩が添えられた、父の絵を思い出した。

この花が思い切り咲ける場所を想像しながら、朝晩の水遣りを日課する毎日。

目覚めの時を、植物たちはよく心得ているのだ。

 

 

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「旅する日本酒」…つづく!

先週の金曜日―

どきどきで始まった「旅する日本酒」イベントも、ご来場いただいた皆様のあたたかなご声援と、周囲の心強いサポートによって、無事に幕を閉じました。

まだまだ経験不足でありながら、今回、沢山の反省を得ることができたことが、なによりの収穫です。今後のイベントに、必ずや生かします!

また、帰り際、頬を赤らめた、ほろ酔いの方々の「楽しかったよ」のひとことが、胸に染み入りました(*^^*)

今回、「ほろ酔いナイト」に一番にメールで申し込んでくださったのも、20代前半の学生さん3人というのも、未来につながる嬉しいご縁でした。

原画展では、滋賀県の蔵元の奥様がご来場くださって、思いがけない再会と出会いに、とても感激いたしました。こうした繋がりは、お酒と人、人と人を結んでくださる、松尾さんのおかげだと、改めて感謝をささげています。
その松尾大社で3月7日に開催のイベントを、来週に控えております…!

初心忘れず、感謝をこめて挑みたいと思います!
また皆さまと、お酒のご縁でお会いできるのを、心より楽しみにしています。



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はじまり、旅する酒蔵。

あの日訪ねた酒蔵を
もう一度訪ねたい――


あの蔵人さんの

笑顔や言葉がよみがえる。

わたしの体にしみこんだ

あの土地の匂いやお酒が
とても恋しくてたまらない。
――春が来たら、また訪ねよう。


力づよい、日本のもづくりをする人々にもらった
かけがえのない経験が、
今の私を支えてくれている。

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はじまり。

一年の計は元旦にあり。

 

そんな言葉がぐるぐると頭をめぐる

正月早々、吹雪の坂道で動かなくなった車の中に閉じ込められ

あわや、こんな街中で遭難するのかという深夜

それでも、しんしんと降り積もる雪は綺麗で

世の中の汚いものをすべて包み隠すような白

しかし私の今年一年は、こんなもんじゃなく

ただただ、焦らず、ものごとを見極めて進めよ、歩めよ。と

ふいに、道を誤って、遭難しかかるほどの危うさを秘めて

ますます慎重さをもて。と

その道の厳しさを予感した。

 

その道、実に険しく美しい

はじまり。

 

 

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待つ花。

残された花々の咲く家に

ただひとり

時を止めた絵画

 

待ち人来ずとも

たんたんと過ごす日々に

咲く花

時を進める。

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ある夏日の風景。

ものごころついた時から

この景色を前に

家族で食事をして、

川に降りては水遊びをした。

 

それはいつのころからか

 

ここに来たら

まるで時を留めたかのように

あの頃と同じ時間が流れている。

子供らを羨ましく眺める

そんな自分にちょっと戸惑いながら。

京都の奥座敷、

ある夏の休暇。

緑のカーテンごしに

水辺で憩う家族が見える

 

メダカ取りに夢中の子ども

水かけていい?と聞いてくる

 

「あかん」

と答えるけど、

ほんとは私も今すぐ飛び込んで、急な流れにわくわくしたい。


そんなことが出来なくなったのは、ずいぶん前から。

 

 

 


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闇にひそむ子供

静かな闇に

コンチキチンの音がひびく

 

灯りを頼りに、階段を上った先を覗く

人の姿は見えず

確かな音色だけ

 

音が鳴りやんだ

子供たちが駆け下りてくる

 

自転車の後ろに浴衣を着た子らを乗せて、

各家々へと帰って行った

 

闇に消えていく後姿

 

 

 

大人たちに囲まれてひそむ

声なき声

 

声をひそめるのが
限界になったそのとき、
やっとほんとうのことが言える

 

闇の向こうに消えていく

得体のしれないものたちをかき消す灯り

 

遠くに響く

子供たちの笑い声

 

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曇り空 バーベキューは食べごろ。

心のなかの忙殺された私が

判断を鈍らす

 

思いがけず、

素直な優しい言葉をつぶやく仲間の声に

はっと我にかえるような

 

曇り空も決して嫌いじゃないと

そう思えるような素敵な一日だった

 

晴れ間がのぞく

しいたけは食べごろに焼けた

 

小学校のときみたいに

放課後ランドセルを放り投げて

遊びに笑った

そんな一瞬が甦る

 

あのころの

楽しい友達と

なんら変わらない

 

季節のはざま

子供と大人のあいだ。

 

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その町の匂い。

 

 

初めて歩いた町で

そのとき嗅いだ匂いというものは、

記憶の中に鮮烈に刻まれることがある。

 

みかんの花がさいていた。

季節はそんな頃だった。

 

身の毛のよだつ匂いというものも

時に甦ってぞっとする。

 

目で触れ、匂いで感じる時を

記憶にとどめて、

色に表せたら素敵。

 

言葉じゃ、

  足りない。

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「酔胡楽」祭りのあとに。

祭りは最高潮に達し、賑やかな掛け声は

突如静まり返る。

神輿の男衆はかしずき、そのときを待つ。

地響きのような神主の声に、ご神体はゆっくりと還されていった。

 

松尾大社に御神輿が還られた日、

私たちも、この怒涛の二日間を終えた。

たった二日間が、
どれほどに濃く、充実したかは、
このぐったりとした疲労感が物語っている。

 

この3人が、こうして今という時に
交差するように出会い、恵まれて、
今日という日を得られたように思う。

なにもかもが、目出度い

愛でたい。

 

お祭り騒ぎをしたあとの静けさを、

今、それぞれが味わっているところ…。

 

 


きっとまた、この先も今日という日を振り返っては、
感激して身震いするような

 

ただただ、多くの出会いとご縁に
感謝してもしきれません。

この二日間を共にすごしてくださった

すべての方々に心から御礼申し上げます。


 

 

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「酔胡楽」一日目のご褒美。

本日は、松尾大社での奉納三人展の初日。
とても過ごしやすい日和となり、

多くの方々が尽きることなく訪れては語らい、
和やかな笑顔に恵まれた一日でした。


そんななかで、祭り前日の忙しい中

時間を見つけて立ち寄ってくださった神主さんから
「いよいよ、良くなってきたね。」
と何気なくお褒めの言葉をいただいたことが、

私にとってなによりのご褒美でした。

自分では、淡々と絵を描くことで過ごしてきた日々を、
こうして誰かが見ていてくださっていることが、
何よりうれしく、

描きがい/生きがい だと思います。

明日は

もう最終日。

松尾大社は「還幸祭」当日となり

勇壮な神輿のおかえりを迎えます。

 

★ギャラリーは9:00~17:00まで。

一日在廊する予定です。

 

 

 

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いつかの雨上がりの庭。

気が付けば相手任せにしていた

一本の木。

 

枯れそうだった足元に

ふかふかの緑の苔

 

いつか一緒に見た雨上がりの庭先

 

忘れていた

枯渇していた根っこの部分に

水遣り。

 

明日の晴れ間を

仲良く歩けるように

何度でも立ち止まって

笑顔を向けて。

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湖畔に佇むひと

「ひとやすみ ひとやすみ・・・」

一休さんにそう言われた気がして

いっきに背負っていた荷物を一度おろして

木陰で休憩

 

こんな夏日に息を切らして

砂漠を彷徨うようだった

 

それは気持ちの中だけのことで

目の前に広がる湖に

ゆったりと釣り糸を垂らして

からっぽの頭で過ごしてみれば

絡まったいろんなことが

するする流れていってくれるような気がして

 

ひとまず

あわてなーい、あわてなーい

ひとやすみ。

 

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5月、山吹のお宮で。

目が覚めるような

山吹の色

 

かえる場所は

いつも同じ

 

季節がめぐり

毎日たくさんの人と出会い

別れて

かえる場所

 

私がわたしをふり返り

ぶれない軸を確かめに

 

いよいよ、また今の私の作品を見てもらいに

松尾さんへ。
松尾山が新緑で美しくふくらむ

大好きな季節。

 

◇◇◇

 

松尾大社 奉納 三人展

すいこらく

「酔胡楽」 5月10日㈯ ・ 11日㈰ in 松尾大社・清明館ギャラリー

・ 松浦 すみれ/顔彩イラストレーション
・ 山根 一生/書

・ 諫山恵実/今様古典画

※11日には還幸祭があり、勇壮な御神輿で賑わいます。

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グループ展を終えた後の修験道。

2週間にわたるブロギガ展を無事に終え、

翌日、

東近江にある太郎坊宮の山を目指していた。

 

多くの反省を振り返る間を惜しみつつ、

次の山へ。

 

想像以上の修験道。

 

息を切らして見上げれば、

終わりの見えない急階段が空へと続いていた。

 

「多くの修験道たちが、天狗の太郎坊(たろぼ)さんを目指されてきたんです」

 

と、山の上で出会った神主さんが、優しい表情で教えてくれた。

 

新緑美しい山々には、まだ山桜が淡く彩りを添えている。

田んぼにはそろそろ水がひかれ始め、

あぜ道を丁寧に整える農家さんの姿に

わが身のせわしなさを痛感する

 

明日はどこに向かっているのか

まだ考えずに、今日は眠ろう

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今歩いている道は、二度と通らないかもしれない。

2両の列車から、ぽつんと駅に降ろされる。

 

今日も初めての町を歩く。

 

日差しは強い。

まっすぐのびる橋の上を

ただひたすら、山に向かって歩いていく。

 

美しい景色にふりかえり、

「はあ~っ」と感嘆の声をあげるも、ひとり。

 

ふと気が付けば、帰り道は別のルートをたどっていった。

 

二度と通ることのない道が、

果たしてどれだけあるだろう。

 

一度きりの出会いと、道のり。

 

どれもが愛おしく、振り返るだけ。

 

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ちょっと、ひと休みしようか。

なんにもいらないから、

お茶を一杯だけ。

 

ふうっと息をはいたら、

薪の燃える匂い。

 

この町で急いでいたのは

私ひとりだけで。

 

何をしてるんだろうと思うこともあるけど

振り返れば、ひとり旅は

自分との対話。

 

もう少し続くこの道のりは

すごいスピードなんだけど、

ときにはこの薪ストーブの前で

時間を止めてしまった物たちに囲まれて

ゆっくりお茶を飲むのがいい。

 

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紀州の香りが恋しい。

和歌山は眩しい日差し

行くたびに好きになっていく

 

そこは蓮華の花咲くむこう

紋黄蝶が飛びかう

菜の花の香り

 

海南の駅前に

美味しい中華料理屋さんも見つけた

 

いっそ住みたい

もっと仲良くなりたい

 

夏にまた会いましょう

もっとゆっくり

ゆっくり

桜の花弁が

はらりと落ちるスピードで。

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海南の空で

kuroe,wakayama

坂道をのぼった先に

いっきに溢れだすように

咲いていた

 

この空のように
広くてあたたかい人たちの住む街

 

 

この勢いに乗らなくてどうする
春爛漫


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春緩む

nara taima-temple

 

 

静かに花とむきあう

こぼれるように開き始めた蕾

その瞬間を逃すまいと
春を噛みしめる

 

 

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滴桜

潤いの桜

けむるような雨に濡れて

はやくも満開の桜

心にさーっと春風が吹いて
満ちていくのがわかる
滴のひとつひとつが

私にも。

 

いろいろな予感
そろそろしてきた?

 

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春を待たずに

時の流れを静かに感じているかのように
そおっと花を開いて

 

あたりに漂う存在の残り香

 

一歩一歩と足音が響いてくる

春を過ぎてしまうのに

あまりにも早いスピードにはなりたくないと

今更ながらに抵抗している

 

穏やかな光の中に包まれて

きっと あのひとは幸せだった

雛祭りの桃の花

 

雨がしとしと夜を濡らす

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天満天神梅酒大会!

ついに来た。

大阪天満宮で毎年行われている梅酒大会。

300種類を越える梅酒・リキュールを試飲して、

お気に入りの5銘柄に投票。
後日、「天下御免」の梅酒とリキュールが発表される。

当日券は、700円。それで飲み放題。

 

人の波を予想して、開始時間10時を少し過ぎて参加。

境内の一角が何やら賑わっている。すでに人がずらりと群がっていた。

今日は平日なんてこと忘れるくらい、盛り上がって、

出来上がっていく人たち。

不思議な使命感を帯びて、投票用紙を片手に、

とりあえず端から順番にすすむ。

どれを試飲するかという基準を、ある程度自分で設けて、

出来る限り試飲をしていくことにした。

私の基準は、

他の果実などと合わせてない純粋な梅酒、

日本酒ベース、ビジュアル重視。

ある程度試飲していくと、

「あれ?これさっき飲んだ味」というものはそれまでで、

美味しいものは、やはり群をぬいて「おいしい!」と感じるし、

そういったのは、歴代の大会で選ばれた梅酒だったり。

酸っぱさのバランス、甘さのバランス、

人それぞれに色んな好みがあるだろうけれど、

やはり、普通をいくものは面白くないし、

記憶にも残らない。

 

また、梅以外の桃や柚子の果実と合わせた梅酒は定番だけれど、

新しく「薔薇」と合わせたものも数本あった。

なんだか、もうキラキラ酒。

 

日本酒をベースにした梅酒では、やはり「大吟醸」とか「純米吟醸」とか、

あえて高価な日本酒で造ったたぐいのもの…これが往々にして、よろしくない。
一本だけ美味しいと感じたのもあったけれど。

 

あとは、変わり種、ゼリー状の梅酒。これが意外にはまる。

中には、炭酸のゼリー状の梅酒があって、これがとても美味しかった。

 

これだけの数が並ぶと、やはり目立つラベルや瓶にまず目がひきつけられる。

外見と中身は決してマッチしているとは限らない。

地味すぎるビジュアルをしていても、驚くほど華やかでおいしかったりもする。

その逆も然り。いぶし銀のおじさんラベルとネーミングなのに、わりとあっさり、とか。

 

あと、各酒造が1~2本ずつ出品するのが多いなかで、

4本くらい味の違う梅酒を出しているところが数軒あって、

そういうところは、たいがいレベルが高い。やはり群を抜いて味わい深い。

 

そんなふうに、一巡したころには、ほろ酔いながらも冷静に思い返して、

熱い想いを込めて投票をしたのだった。

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心はずむ、ある日のおしごと。

京都の着付け教室、服部和子きもの学院さんのDMを制作しました。


ちょうど一年近く前、グループ展をしていたとき、私の貝殻の作品の前で出会ったゆきこ先生。

服部和子先生の娘さんでいらっしゃるとは気づきもせず、

ただただ、その時の先生の着ていらした着物の彩りに目を奪われました。

私の描いた絵に溶け込むようなかたちで立っておられたのを覚えています。

その時から、ゆきこ先生の感性にすっかり心惹かれてしまいました。
普段から、ゆきこ先生が纏う帯と着物、小物などの組み合わせは、

まるで物語をつむぎだすようで、その色とりどりの演出にわくわくします。

可愛らしい風貌そのままに、りんとした着物姿をいつもお見かけします。

そんな先生の言葉や、表情、想いを、こんな形でお手伝いできて、
なんだかとても心弾む心地がしました。

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8日

末広がりの8

永遠の8

八海山の8

でもこれはイチゴ大福の8

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蝋梅の灯り

ぽかぽかとあたたかな日差し

ある日ふわりと鼻先に訪れた春の幻影
古民家が立ち並ぶ奈良のいにしえの街道に
甘い香がただよう
足を止めてその香りのもとを探ると
冬色寂しい庭先に明るい黄色がまぶしい
厳しい寒さの日々に
ぽっと灯りをともすような小ぶりなランプシェード
“春はもう、すぐそこまで。”

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奈良、菩提酛清酒祭へ。

立ちのぼる湯気のむこうに
静かな山麗に佇む僧侶の祈りの眼差し。
ひとの力と、自然の力、発酵の神秘。

力強い杜氏さんのしごとを

はじめて目の当たりにして

 

あたたかい粕汁を皆でいただく

私も湯気に包まれた。

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明けの空。

静かな馬の目の奥に

青々と広がる草原

勇ましく

風のように走り抜けて

 

今年もたくさんのものを生み落せるように

こわがらずに目を見開いて

まっすぐに進んでいきたい。

 

きっと多くの輝きを目にして

感動するに違いない。

どうか、おそれずに。

 

 

 

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私は愛するものを憎む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

伊丹美術館のベン・シャーン展へ。
今年をしめくくるのにふさわしい
素晴らしい作品に触れられた。

 

 

ふと、年末の勢いでたくさんの“スタート”を切ってしまい

自分が遠のいていく

そして遠くから応援してあげている。

 

どこだ私は。

 

向かう方向はよおく見えている。

逃げるつもりもさらさらなく

はやく、かかってきなさい。との気概まで。

 

さあさあ

始まるよ、いろんなことがいっきに。

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そうか、冬がきたんだね。

思いがけず夜の南座を通って気づく。

明々と夜の祇園に掲げられた「まねき」は、今年最後の月を象徴するしるし。

いよいよ冬がきたんだと。

どおりで、本格的に手袋を必要とするほど、

もうコートなしでは歩けない夜だなと思ったよ。

なんとなく気づいてはいたけれど、

その苦手な京都の寒さを受け入れたくなくて拒んでいた。

つまりは年々師走がこわいのか。

あと数週間で、新しい幕明けだというのをわくわくと待ちながらも、

今年最後のやり残したことを出来る限りやり終えようと必死。

この月の盛沢山なイベントは、ありがたい現実逃避とさせてもらいながら。

もうすでに来年のいろいろの予定がせまって見えてきている。

今年のハイライトを振り返ったら、もう進むしかなかった。しわす。

 

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うつりにけりな

―――あそこのモミジは今がみごろやで。
 北の方はもう散ってしもたけどな。―――

 

運ばれてくる言葉に

私が知りうる限りの艶やかな赤色を想像して

ますます想いはつのるのだった。

 

そうしてやっと、紅葉狩りを目的に

京都の紅葉地図を広げた。

 

ふと、隨心院に心惹かれる。

いつの日か、梅の香に包まれた園に

小野小町を偲ぶように寂びた庭は

私の心に強く印象に残る。

 

次の日、平日の休みを良いことに、

人出も落ち着いた山科の方へと向かった。

 

駐車場で銀杏のまばゆい絨毯に迎えられ、玄関入口へと向かうにつれ、

盛りを少し過ぎた紅葉が屋根からのぞいていた。

 

冷える廊下に

その静かな時を刻んだ襖。

描かれた花鳥の色々がぼんやりと浮かんでいた。

なかでも近年描かれた小野小町の盛衰を描いた襖絵は、
まばゆいほどに桃色に彩られた派手なもの。

驚くほどショッキングなこの襖絵の雰囲気がとても気に入っている。

だるま商店さん http://dalma.jp/?page_id=60

 

盛りを過ぎ色濃く枯れ始めたモミジ

暮れゆく季節を迎えて、

このどこか寂しい庭のように

余生を過ごしたのかもしれない小町…

こうして艶やかな襖絵に美しいストーリーとして甦ったことは

すごく供養になってるのかもしれない。。。

などと、同じ女性としてやはり小町を羨ましく思う。

 

はなのいろは うつりにけりな いたづらに

わがみよにふる ながめせしまに

 

それは暮れゆく恋の色

もしくは歳をかさねるごとに

色を濃くしていく

露わになる己の身の行く末

 

切ない季節を味わうということ。

 

 

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走りつづける男。

どこまでも昇りつめる

息をつぐ間もおしいような

ときに激しくて優しくて

愛の溢れる音楽に包まれる

 

時代を越えて

たくさんの別れや失望をも音楽に昇華する

それは美しくて

どんどん生まれ変わって

若返っていくような彼の生き方に

とても衝撃をおぼえた

 

音楽は世界をかえる

ひとりひとりの心の中に

光が満ちるように

 

 

 

 

 

11/12 ポールマッカートニーのコンサートにて

 

 

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ある秋の朝。

キンモクセイが散っていた
その秋は始まったばかり

 

もう 来年のことを考えている

誰も知らない 私だけが知っている私の姿

それは、寒くて布団に埋もれてまるまった秋の朝

幻のように現れる

 

一面ススキの野に出た

いっせいに同じ方向へなびく

風の向き 日向の陰りを察知するかのよう

 

色を濃くしていく木の葉の色

私の体に染み渡るように

しっかりとその色を待つ

 

そろそろ珈琲が恋しくなって

ゆっくりと目覚める

11月の朝。

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秋の小さな冒険。

久方ぶりの秋の のどかな一日

家族でさんぽ。

家からすぐそばの川沿いに

秋の色があふれていた。

いつだって 見落としそうな

その小さな実りを

そっと手で触れて

ぬくもりを確かめるように

 

咲いている

鳴いている

 

幼子と歩けば

花や木の実 犬や猫

どんなことも大きな発見と冒険の道行

 

そんなことも

忘れていたっけ。

 


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作品展「神仏の饗宴」を終えて。

個展の最終日、雨でしっとりと緑の色濃い境内。
静かなギャラリーで一枚一枚の絵と向き合った。
私の手から離れて、多くの人たちに毎日眺められたせいか、すっかり表情をかえていた。
晴れ晴れとして、嬉しさがこみあげる。

滋賀県・和邇の平和堂ギャラリーからスタートしたのがちょうど一ヶ月前の9月15日。

10月に入ると同時に場所を地元・京都へと移し、松尾大社での期間も延長となったおかげで、今日まで約一ヶ月間の作品展となった。

わたしにとって初めての個展は、想像をはるかにこえる嬉しい展開がわんさかあって、ひとつひとつが感謝と感動に溢れていた。
けれど、それはこの10年を振り返ると自分が望んで目指してきたこと、ひとつひとつの積み重ねが実ってくれたこと。
蔦が日の当たる場所に自然と伸びていき、ひとつひとつ花が咲くように、新しい日々を追いかけてきた。
いつも家族に支えられ、多くの人たちの出会いに恵まれ、ささかな夢を叶えさせてくれた。ほんとうに、私ひとりの力では何もできやしなかった。
個展を終えて、明日から、また新しい日々が始まるのだ。
この一ヶ月、関わってくれたひとりひとり、一日一日を忘れずに、私はこれからも描き続けていく。

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縁むすびの庭。

photo:sakurako-4歳  in 松尾大社

どんぐりの実が転がるギャラリー

子供たちが駆けてゆく境内
今も変わらず遊び場には、清らな水と沢蟹と
このお社に幼いころ、毎日遊びに通った頃の記憶
緋袴をはいて美しいときを過ごした日々
ここを少し離れてからも

節目ごとに神様に秘密の報告をしにきた時間
すべてはいまというときに結ばれて

手繰り寄せた糸に
多くの出会いと別れ
どんなときにも私はここにいた

心の奥深く清らな水の流れる庭に
子供たちの遊ぶ声が響く

 

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かわるがわる

個展会場にふっと現れた多くの友人、知人。
そのたびに、華やいだり、なごんだり、

場の空気がどんどん展開する。
私はとにかく嬉しくて

ずいぶん多くをしゃべりすぎてしまうほど。

もっと観てもらう人にゆだねればいい。

いろんなこと、もっと感じ取って

教えてもらいたい。

だから、なんとかはやる気持ちを

抑えている。

神社の空気は独特で

虫さんたちも時折こんにちは

散歩中のおじさんもこんにちは

ちょっと気分転換に巫女さんもこんにちは。

 

やってみて初めて

ここで個展をひらくと言う意味が

大きく見え始めた。

私の想像をはるかに超える人たちに支えられ、励まされ、今日もこの場所に立っている。

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作品展、松尾大社での2日目の記録。

お昼前、松尾さんでは蝉がわんわん泣いていた。

もう10月だというのに。

それでも、木が生い茂る境内は、時折爽やかな風が吹く。

ギャラリーに到着してすぐ、嬉しいことに

さっそく知人一家が着たばかりの様子。

ゆったりと観てくださって、有難いご感想を頂いた。

そのあと、少しうろうろと境内を歩いていたら、

ギャラリーの作家さんですか?と声をかけていただく。

舞台監督をされている方だったので、思わず美術や伝統文化などについて、

しばしの間、境内を少し案内がてらお話しをかわす。

昼過ぎには、イラストレーターの先輩が着て下さって、父をまじえてゆっくりとお話しできた。

ちょうど閉館時間をまわるころ、かわいい巫女さんたちもぞろぞろ来てくれて、

今後のことにも多いに協力してくれることに。

なんといっても、多くの御恩返しと感謝を捧げたい、このたびの作品展。

また今日も少し前進。

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作品展、地元京都へ。

休む間もなく、ぱたぱたと走って個展も場所を地元京都に変えて、後半戦が開幕。
本日初日は、なんとか午前中のみの在廊となった。
ギャラリーは、もともと喫茶店だった所を改装した穏やかな空間で、準備も直前まで片付かずにいたけれど、少しづつ手を加えるうち、思った以上に自分の世界感に近づけた。
また、今日は神社の「おついたち」ということもあって、多くの方々との出会いに恵まれた。
そのなかで、石川県から来られたあるひとりの女性は、前々から松尾大社に来たいという思いで、今日やっと念願かなって訪れたとのこと。
神像館におられる御神像が描かれているのを、それは熱心に観て下さって、実物よりも親しみやすく感じてくださったようだった。私の想いがこもって少し愛嬌のある表情に仕上がっているからかもしれない。
また、不思議なもので、私が思っていた以上に天女の絵には癒しを感じていかれる方がたくさんおられるよう。
地元の方々も、初めてお話しする方々は皆さん同じ氏神さんということで、親しみを感じてくださって、とてもありがたかった。
駆け足の数時間だったけれど、とても貴重な時間。
また明日からも、多くの方々との出会いが楽しみでならない。
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湖国「かくれ里」巡り。

百済寺

いよいよ開催となった滋賀の和邇での個展。※「神仏の饗宴」展:わに平ギャラリー都千本9/15~9/28

幼いころから何度も訪れてきた滋賀は、母の生まれ故郷でもあり、私にとっては第二の故郷のような懐かしさもある。
豊かな湖を抱えた深い緑の山々は、数多くの苔むしたお寺や、美しい仏の眼差しを隠してきた。近年、改めてその奥深い魅力に惹かれつつある。

わたしも、この機会にじっくりと、湖国巡りを始めようかと思う。

白洲正子が、滋賀にすっかり魅了されて、足しげく通い、

自伝に多くの旧跡を書き記してきたその足跡をたどってみたい。

思わぬところで台風が、関西をめちゃくちゃ荒らしてしまった翌日、

やっと滋賀を訪れることとなった。

 

東近江から順に、湖東三山の百済寺、そして金剛輪寺へ。

平日で人も少なく静かな境内は、台風の爪痕もことのほか影響は少なく、

むしろ地をしっかりと固めてくれていて、まるで嵐など無かったかのように、

緑のトンネルに爽やかな風が吹き抜けていた。

苔むした緑は、新緑のように初々しく見えて、もう初秋だというのに爽やかな色をしていた。蝉の賑やかな声が、ますます季節を混乱させていた。

「百済寺」

 

百済寺は、その美しい緑の階段を登っていくと、大きな草鞋が吊るされた仁王門にたどりつく。木彫りの逞しい金剛力士像がその肌に静かな時を刻んでいて、私たちを見下ろしていた。その門から見上げたところに本堂が見えた。最後まで階段を登りきろうとするところに、しめ縄を巻かれた全長50メートルほどの御神木が、高くそびえていた。まわりの木々たち天へとまっすぐに伸び、立派な樹齢を重ねていた。

本堂にはいくつもの宝物、この山奥に、まるで隠れるようにお守りされている仏像が、いっそう高貴ではかない表情をしていた。ひときわ惹かれたのが、小柄でふくよかな如意輪観音。片膝をついて頬に手をよせる、その表情には静かな色気がただよっていた。

どの時代もこの土地の人々に大切に守られてきた仏像たちは、この山奥でひっそりと、その慈愛の表情をたたえていた。

 

 

百済寺

 

 

 

「金剛輪寺」

百済寺から車ですぐのところにある金剛輪寺。

こちらも山際に、広大な敷地の一角に、入口となる山門をくぐる。

あまりその地の知識を入れずに行ったものだから、本堂までの山道は、

まるでどこまでも続くお遍路のような風情の坂道だった。

参道沿いには所狭しと等間隔に並ぶお地蔵さまと風車が、私たちをあたたかく見守ってくれていて、どこか安心させられてしまう。

はるか彼方の記憶に呼び戻されるかのような、またこの先の黄泉へと案内されるような、不思議な坂道は不安もつきたころにちょうど仁王門が遠くに見えてくる。

着物の裾をなびかせて白濁した険しい目をぎょろりとこちらにむけた仁王門が出迎えた。

金剛輪寺

国宝に指定された立派な本堂へとたどり着く。見上げると、本堂の後ろには、そびえ立つ木々の間に三重塔が見えた。

うっそうとした木々と共にそびえ立つ塔と、荘厳な本堂の迫力。あの地蔵の参道を抜けてたどり着いた天空の世界みたいだった。

本堂に祀られる仏像の数々は薄暗いお堂のなかでさびた肌をしても、よりいっそう神々しく輝いている。ぐるりとお堂の奥まで入って行けて、目の前で拝むことが出来た。勿体ないほどの距離が、後から思えば後悔するほどであった。

 

金剛輪寺

湖国

深く味わい深い風情は、京都でも奈良でもなく、この地の人々が古より育ててきた風土が生んだ独特の色をしている。

それは深く食にも通じていて、鮒寿司やもろこ煮、日本酒など、まさにこの地の味わいを表現している。

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夏の終わりに、瀬戸内海の旅。

小豆島・中山集落

 

8月の終わりに旅をした。
どこまでも澄んだ青、瀬戸内の大好きな島々を巡る旅。

港の前の宿の部屋からは、ゆきかう船が見え、

汽笛に目覚めた朝。


初年度より通っている瀬戸内芸術祭。

今回は、高松から小豆島、豊島へ。

久々に訪れて懐かしく感じる島や、初めて訪れる村など。

私にはどちらかというと、芸術作品の、その後ろの風景がメインかもしれない。
おまけでついてくる美味しい作品も、どれも素敵だけれど、
やっぱりそこで出会う地元の人々や生活する姿のパワーは圧倒的で、美しく逞しい。

脈々と受け継がれてきたその営みは揺るぐことがない。

 

どんな有名なアーティストも、そこでは一過性の一瞬のきらめき。

普段は静かな村落にも、多くの観光客が押し寄せ、日本は、この島国は美しいと、安心して帰っていく。

朝日を浴びて、稲を刈りこみ、魚を釣り上げ、夕日を拝む
そんな生活に戻りたいと、DNAが反応する

 

そういえば、久しぶりにみた夕日。

まるで全身から汚れが溶かされていくような

熱い真っ赤な色をして海に溶けた。

 

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鏡よ、かがみ。

夜は更けゆく。
美しい旋律にのって、静かで確かな強いひと。

その奏でる音色にすべての人は

どこかへと舞い昇るような心地がしてしまって

いつまでもこの夜が続くのだと

何度も杯をかわした。
夢から覚めるのが恐ろしいほどに

だれもがこの目の前の光景に夢中になろうとしていた。

そのとき

誰もを映す鏡に

自分の姿はどこにもなかったと

ひやりと目が覚めた。

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日焼けのあと。

 

夏生まれの赤ん坊を羨ましく思う夏。

私には一昨日出来た

ひりひりとした背中の日焼けが嬉しい。

 

やっとむかった海。

今年は福井の美方、

船の音がすぐそばに聞こえる

小さな港町。

 

すぐ向こうに浮かぶ

三角のこんもりした島に

漁船で渡してもらう。

何もない岩場は、

私たちには

わくわくするような

遊び場で、

飛び込んだ水中に

張り詰める緊張感も心地よく

魚に貝に

出会うたびにはしゃいでいた。

 

誰もいない島では

ただ大声で叫んでみたり

桟橋に寝転がって船を待ったり

夏の暑さも嬉しくなった。

 

短い夏を

無我夢中で

 

泳ぎ疲れてぐったりと

死んだように眠ったっけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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末日の快楽。

その月の最後の日、明日から次の月になるというときが好きだ。生まれ変われると信じている。つまりはいったんチャラになると。嫌なことはもちこさない。慌ててこなす。間に合った…ふーって。

大好きな31日を、慌てていろいろ考えながら、日をまたぐ。それは新しい自分との出会いと別れ。

今日を越え、季節をまたぎ、歳を重ねて、何度も生まれ変わる生き方を、私は信じている。

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